はじめまして、OdagiriJと申します!中学校の先生やってます。
このブログでは、日常的に「考えること」が好きな私が、様々な物事について考えたこと・気づいたことをシェアしていきます。
早速ですが、今回は勉強についてです。
先生をやっていると、よく生徒に「なんで勉強するの?将来使うの?」と聞かれます。
そういう生徒は、なぜか運動や部活には積極的である場合が多いです。(OdagiriJ調べ)
そこで、筋トレを例に勉強する理由を説明できないかを考えてみました。
筋トレも勉強も、日常でそのまま使うとは限らない。
「この勉強、いつ使うの?」という質問をしてくる生徒は、例えば次のような意見をもっています。
生活で使いそう=計算・漢字・英単語
生活で使わなそう=関数・歴史・古文
生活で使わなそうなものは、いらないのでは?という意見ですね。
しかし、筋トレを思い浮かべてみてください。
腕立て伏せのあのポーズ。あの動きを連続で何度もしなければならない場面って、日常でありますか?
腹筋も、背筋も、スクワットも。
そうです。「直接その動きを使うわけじゃなくても、鍛えられる部位がある」ということです。
鍛えておくことで、姿勢や体幹がしっかりしたり、力を加える必要がある場面で役立ったりするわけです。
「よし、今こそ筋トレの成果を発揮だ!」なんて意識しなくとも、様々な場面で意図せずとも鍛えた部位は生かされているはずです。
これは、勉強においても言えます。
学んでおくことで、鍛えられる脳の部位があります。思考力・判断力・表現力の幅も広がります。
何の勉強がどの場面で役立つかなんて、1つ1つ把握しておく必要なんてありません。
そんなものは細かく限定的に分類できるものでもありませんからね。学んだことが互いに横断的に結びついてる場合も多いですし。
とにかく筋トレ同様「思考・判断・表現する上で何かの役にはたっているんだな」という認識にたどりつけば、「無意味な勉強」とはならないでしょう。
筋トレも勉強も、しなくても生きてはいけるが困る場面が増える。
それでも、「勉強はしなくても生きていける」という人はいるでしょう。
いくら筋トレを例に出しても、「筋トレもしなくても生きていける」と言えてしまいますからね。
しかし、筋トレ(運動)をしないと
・身体能力や身体機能が低下する。(病気のしやすさや寿命にも関わる)
・基礎代謝が低くなり、 (食事量にもよるが)体型がだらしなくなる。
・いざという時に必要な力が出せず、自分や誰かを守れない可能性が出てくる。
同様に、勉強をしないと
・知識があれば物事を適切に解決できるところを、余計な時間や労力がかかったり、騙されたりしてしまう。
・勉強習慣がないと、本当に何かを学ばなきゃいけない必要がでてきたとき、「学び方がわからない」「学ぶ土台ができていない」という壁にぶつかる。
・例えば「太陽は東から昇る」という知識はなくても生きてはいけるが、そういった知識がないと「この人、大丈夫かな」と敬遠されたり信用が得られなかったりする可能性が出てくる。
このような困る場面を想定し、勉強のモチベーションを上げるのはいかがでしょうか。
筋トレも勉強も、「鍛える」という言葉を使ってみる。
「鍛える」という言葉には、「積極的に励む」という前向きなニュアンスが含まれる気がしませんか?
勉強も、「筋力を鍛える」のように「学力を鍛える」という表現にしてみると、「やるぞ!」となる気がしませんか?
そもそも「勉強」っていう言葉に、ネガティブで「つらい」「つまらない」というイメージがこびりついてると思うんですよね。
せめて「学習」、やはり「学力を鍛える」という言い回し。
「筋トレ」のように「学トレ」。
「勉強しなきゃー」も、「学トレするぞー」って前向きになれるかも。
いかがでしたか?
このように勉強を筋トレに例えて取り組んでみると、結構はかどるかもしれませんね。
ぜひ参考にしてみてくださいね!