考察

「すごい」は遠ざける言葉かもしれない

こんにちは、OdagiriJです!
今回は、「“すごい”は遠ざける言葉かもしれない」という話をしてみます。

誰かを見て「すごい!」と感じたとき、私たちはつい無意識に「その人と自分は違う」と距離を取っていないでしょうか?
今回は、「すごい」と思ったときの心の動きに注目し、その言葉がもたらす影響を考えてみます。

「すごい!」が生む見えない“線”

誰かを「すごい!」と称賛することで、自分との間に線を引いてしまうことがあります。
ただ称賛するだけならいいのですが、その人を目標として見ている場合、「すごい人=特別な人」とラベリングしてしまうと、自分とは別の世界の存在のように感じてしまいがちです。

でも実際は、「すごい人」なんていないんです。いるのは、「自分がすごいと感じた人」。
その人にとっては“当たり前”のことを、私たちが勝手に「すごい」と雲の上に追いやっているだけなのです。

だからこそ、「すごい人=普通の人の延長」と捉えることが大切です。そうすれば、線は消えて「自分もなれるかも」という感覚が生まれます。

「自分すごい!」も、実は危うい?

努力の末に「やった!自分すごい!」と思うこと、ありますよね。
でもその“すごい”は、「すごくない自分」から見た感想にすぎないのです。

一瞬の達成感としてはいいのですが、いつまでもその高揚感に浸っていると、「すごくない自分」の基準に引き戻されてしまいます。
これが、3日坊主やリバウンドの正体です。

「すごい」を「普通」にする勇気

本当に大切なのは、「すごい状態」を“当たり前”として定着させること。
つまり、「すごいの高揚感を、日常の習慣に落とし込む」ことです。

勉強を続けている状態や、運動をしている状態を「すごい」と思っているうちは、それは“非日常”。
続けたければ、「これが自分の普通」と思い込ませる必要があります。

人は“慣れ”の状態に戻ろうとするので、望む状態を「慣れ」にすることがとても大事なんです。

高揚感は行動の妨げになることも

何かを達成したときの「自分すごい!」という高揚感。これは気持ちがいいものですが、同時に行動を止めてしまう落とし穴にもなります。

高揚感に浸っていると、「もう充分やった」という気になって動けなくなってしまう。
やる気がなくなったように錯覚して、また元の習慣に戻ってしまうのです。

だからこそ、高揚感を「薬物」のように扱って、ほどほどにする必要があります。
喜びを感じるなというわけではなく、「そこに居続けること」が危ないのです。

すごい状態へ「旅行」するのではなく「移住」しよう

「やった自分すごい!」と舞い上がるのは、旅行に行ってテンションが上がるのと似ています。
でも、いつか帰ってきてしまうのが旅行。
目指すのは、「すごい状態に住むこと」=移住です。

旅行気分で終わらせないためには、「これはもう自分のスタンダード」と思い込むことがカギ。
「やってる自分=普通」、「やってない=違和感」と、脳の設定を塗り替えていきましょう。

まとめ:「すごい」を手放して「ふつう」にしよう

・誰かの成果を「すごい」と思ったら、それは自分との線引きかも
・自分の達成を「すごい」と思いすぎると、続かなくなる
・「すごい状態」を「当たり前」として脳にインストールしよう
・高揚感を手放し、地に足をつけて継続しよう

「すごい人も、特別じゃない。あなたの中にも、同じ光がある。」
“すごい”を、あなたの新しい“ふつう”にしていこう。

OdagiriJ
中学校の教師をやっています。 このブログがみなさんにとって少しでもプラスになりますように! お問い合わせは、InstagramのDMからお願いします。
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