こんにちは、OdagiriJです!
みなさんは普段、どんなふうに時間をとらえていますか?「昨日はこうだった」「明日はこうしよう」なんて、過去や未来を行き来しながら考えるのが当たり前ですよね。でも、よく考えてみると「今」以外を実際に体験することってできないんです。
人生には、「今」しかありません。「今」の連続でできている。「今」の詰め合わせが、つまり人生なんです。
過去も未来も「今」の一部
私たちは、過去や未来という言葉を使って時間を区切っています。けれど、その「区切り」も人間が勝手に作った概念にすぎません。1日を24時間と決めたからこそ「今日」「明日」という言い方ができるし、「今年」「今世紀」なんて呼び方も生まれたのです。
でも冷静に考えてみてください。今日も、明日も、来年も、40年後も、結局やってくるのは「今」という瞬間です。未来は「今をちょっと伸ばした部分」にすぎない。だから「今日はいいや、明日からがんばろう」なんて言葉は不思議です。明日もまた、今と同じ今日になるのですから。
「でっかい今」という視点
この考え方を広げると、人生はぜんぶ「でっかい今」だと言えます。
・今日の自分
・10年前の自分
・10年後の自分
どれもが今の延長線上にある「今」なんです。
過去の出来事を思い返すときも、未来を想像するときも、それは「今の意識」に内包されています。つまり、過去も未来も「今の一部」。結局、私たちが触れられるのは、どんなときも「いま、この瞬間」しかありません。
行動を先延ばしにしないために
「でっかい今」という視点に立つと、先延ばしする理由がなくなります。
「今日は休んで、明日から本気を出す」
よくある言い回しですが、実際には「明日」という独立した存在は来ないのです。やってくるのは常に今日、つまり今。行動のタイミングは、結局いつも「今」しかない。
この事実に気づくと、行動を起こすハードルが下がります。「どうせ今しかないなら、ちょっと動いてみるか」と軽やかに一歩を踏み出せるのです。
流れる今は絶えずして
日本の古典にも「今」の連続をとらえる言葉があります。鴨長明の『方丈記』には、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
とあります。これをもじるなら、まさに
「流れる今は絶えずして、しかももとの今にあらず」
ということ。
時間は流れ続け、二度と同じ瞬間には戻れません。けれど、その移ろいの一つひとつが「今」として連なっている。そう考えると、日々の一瞬が宝物に思えてきませんか?
おわりに
人生の時間は、今の連続です。過去や未来に思いを巡らすことはあっても、体験できるのはいつだって「今」だけ。だからこそ、私たちは「今」をどう生きるかに全力を注ぐしかありません。
「未来の自分のために」ではなく、「今の自分をどう生きるか」
その積み重ねが結果的に未来をつくります。
次に何かを先延ばしにしたくなったら、こうつぶやいてみてください。
「結局、今しかないんだよな」
そう思えた瞬間に、人生はすでに動き出しています。