考察

自分が主体!ジブンシュタイン

こんにちは、OdagiriJです!

さて今回は「ジブンシュタイン」という言葉を提案します。
これは「自分を主体に生きる人」の象徴です。

私たちは気づかぬうちに、誰かの“いいなり”で生きている部分があります。
親、上司、パートナー、友達、そして世間。

「いい学校に入りなさい」
「いい会社に就職しなさい」
「安定収入を得なさい」
「いい家を買い、結婚して子どもを持ちなさい」

さらに、テストの点数、偏差値、学歴、フォロワー数、年収…。
数字や肩書きで人の価値が測られる空気に、縛られてはいないでしょうか。

でも、どこかで「違う」「息苦しい」と思ったことがあるはずです。
その違和感こそが、あなたが主体性を失っているサインです。

顔色を伺わない

「断ったら嫌われるかも」と思って飲み会に行く。
「空気が悪くなるかも」と思って意見を飲み込む。
「反発されたくない」と思って沈黙する。

これらはすべて、顔色を伺う弱さに従った行動です。

ジブンシュタインは摩擦を恐れません。

「私の時間は、私のものだ」
そう言える勇気が、人生を取り戻す第一歩です。

比較の奴隷から抜け出す

テストの点数、偏差値、学歴、年収、フォロワーの数。
こうした“他人との比較”に心を縛られた瞬間、主体性は失われます。

ジブンシュタインはこう気づきます。

「数字ではなく、自分の基準で生きる」

媚びる生き方をやめる

「好かれようと相手の言う通りにする」
「褒められるために発言を変える」
「いい人と思われるために本音を隠す」

これらはすべて、他人の反応ありきの行動です。
つまり「自分を犠牲にしている」=媚びです。

けれど「喜んでもらいたいからやる」は違います。
それは自分の“好き”や“やりたい”から自然に生まれる行動。

* 媚び → 自分を押し殺して他人に合わせること
* 喜び → 自分発信で誰かを楽しませること

ジブンシュタインはこう判断します。

「いやなものはいや。すきなものはすき。
喜んでもらえるなら、それは私も嬉しい。」

友達・世間のいいなりからの解放

友達に嫌われたくないから予定を合わせる。
世間に取り残されるのが怖いからレールに従う。

でもそれは友情でも安心でもなく、ただの服従です。

「違う」「苦しい」と思ったら、それは自分の声。

「違和感は、私が私を見失っている証拠」

戦う相手は外だけじゃない

ジブンシュタインの敵は、親や上司や世間だけではありません。
最大の敵は「自分の弱さ」です。

* 嫌われるのが怖い弱さ
* 孤独を恐れる弱さ
* 数字や肩書きにしがみつく弱さ
* 「楽な道でいいや」と妥協する弱さ

これを直視し、超えていくこと。
それが、本当の主体性です。

おわりに

ジブンシュタインとは、誰のいいなりでもなく「自分の人生」を選び取る人。
違和感や息苦しさは、その主体性が失われているサインです。

戦う相手は外の圧力だけでなく、自分の弱さでもあります。
そして媚びる必要はありません。
ただ「自分のために」「喜びから」なら、人を幸せにする行動はどんどんしていい。

摩擦を受け止め、孤独を引き受け、弱さを超えたとき。
初めて私たちは、本当に自分の人生を生きていると言えるでしょう。

ぜひ参考にしてみてくださいね。

OdagiriJ
中学校の教師をやっています。 このブログがみなさんにとって少しでもプラスになりますように! お問い合わせは、InstagramのDMからお願いします。
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